前略、さようなら。

一文字一文字を記していくことですべてを過去にしていきたい。

思い出に残っている大切な恩師 ①

 

 

私には、学生時代【恩師】と呼べる先生が数人います。

 

 

中学時代「さとうさんの様子がおかしい」と気づいてくれた体育の先生。

二年の時の担任でもあった。

まだ若かった先生は学生のノリが好きで一緒になっていろんなチャレンジをした。

当時は一クラスに40人以上いる生徒。

先生はいろいろと気にかけてくれたけれど

どうする事もできなくて卒業式の謝恩会で先生は母に謝ったそうだ。

「さとうさんの事どうにもできなかった私は未熟でした。申し訳ございません。」と。

 

 

先生は何にも悪くないよ。

私の異変に気付いてくれただけで嬉しかったよ。

ありがとう、先生。

 

 

 

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その後、高校に進学した私が出会った担任の先生も素晴らしい人だった。

入学式の後、どういうわけかすぐにテストがあった。英語と数学のみ。

どこの高校もそうだったわけではないらしい。

 

そしてすぐに保護者面談があった。

 

私の母は何を思ったのか「あの子は何番目に合格したんでしょうか?」

聞いたそうだ(笑)

160人の定員に対して164人が合格。倍率は2.8くらいだったと思う。

 

先生は用紙に目を落とすと母に向かって一言

「聞かないほうが良いと思います」とwww

(おそらく同点で入学できた下位5名かと・・・)

 

 

そんな私が入学後のテストで上位に!!

これでクラス分けがされて数学と英語はアッパークラスの仲間入りです。

 

これに驚いたのは他の誰よりも先生だったと思う(笑)

 

 

 

夏休みに入りナンパで知り合った男性と日曜日にドライブに行った。

お互いの友達も一緒に。

そこで交通事故に遭い私と友達が重傷。男性は無傷。

夏休み中は絶対安静の状態で学校が始まっても通学の許可は出なかった。

その事故が学校に報告されると【不純異性交遊】で停学と決められたそうだ。

 

友達の高校も同じく【停学】と言って来たそうだが

私が無理矢理誘ったという嘆願書のようなモノを提出して事なきを得た。

しかし「友達の関係は今後なしでお願いします」と友達の親に言われ絶縁。

 

 

 

私の【不純異性交遊】の噂はあっという間に広がり

停学も仕方ないのかと諦めていたところ

担任が食い下がって

「あの子は大丈夫だから、ここで停学にしたらもっと大変な事になります。」

「もっと問題を起こすようなら私が責任をとります」

とまで言ってくれたらしい。

 

そこまで言ってくれた先生の期待に応えたくて

包帯だらけで登校。

周囲の視線や陰口に耐えて通学した。

勉強もした。

おかげで一年間は成績も落ちることなく過ごせた。

 

 

その先生は校長になり、教育委員会の委員長になり

今でも尚、教育関係の役員をしている。

 

 

再会したのは震災の年の避難所。

私は配膳の準備をしていた。

お連れを引き連れている教育委員会の委員長が私の方に歩いてきて

校長とお連れが引き戻そうとしている中

「元気そうですね」と。

「そうですか、避難所の運営ですか」とニコニコとしている先生。

 

私を覚えていてくれたこと

学生時代の事の御礼を言うと

「当たり前じゃないですか」と。

 

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ありがとう、先生。

私は二年になって反抗期に入ったけど

先生の事は一生忘れない。

 

 

出会った先生によって人はこんなにも変わるんだって思った。

次回”私が反抗期に入ったきっかけは担任だった”に続きます。