前略、さようなら。

一文字一文字を記していくことですべてを過去にしていきたい。

あれから9年 ~2011年3月11日午後2時46分~

 

 

今年も3月11日がきた

 

9年目になって心が以前よりざわつかない事に気が付いた

 

 

今年は暗い話ではなく

人の温かさに触れた話を書きたいと思います

 

 

私と母は毎日の日課として

朝ごはんを食べたら避難所まで片道1時間歩いた

私はキャリーケースを引き

行きは避難所にいる叔父一家への差し入れの物を入れて

帰りは給水所でお水をもらい

新聞社で新聞をもらって帰る

 

その道すがら買い物袋を持った人がぞろぞろ歩いていたので

どこの店で買い物ができるのか?聞くと

ドラックストア、ホームセンター、コンビニの名前を教えてくれた

更に30分以上歩くので母を帰して一人で向かった

 

 

家とは逆方向のお店で買い物の行列に並んだ

入店は3人~5人で買い物時間は5分と決められていた

誰も文句を言わず、割り込みもなく、どこで何が売っているのか情報交換をした

 

コンビニにはタバコが数種類売っていて

携帯のバッテリーも売っていた

お酒もあった

でも

買占めなんて誰もしなかった

 

この後タバコはいつ入荷するか分かんないよ

まとめて買っていけば?という店員の言葉に

まだ欲しい人がいるはずだからと断って3箱だけ買った

 

買い物をしたのでいつもより思いキャリーケースを引きながら

上り坂の1時間を歩き始めたけど

脚が棒で前に進めなくて座り込んでしまった

 

ガソリンが販売されていなかったので通り過ぎる車もない

 

 

少し休んでまた歩き始めたけど脚が悲鳴を上げている

そこに一台の軽トラック

「どこまで行くの?」

「乗っていきな」

 

そんな車に何台出会っただろう・・・

 

孫を迎えにきたオバサン

子供たちをたくさん乗せたオバサン

夫婦で届け物に来た人

 

 

津波で流出したガス屋さんが

ガスボンベをかき集めて

家に来てくれた

 

 

悲しい話がたくさんあった

それでも友人、知人と再会して抱き合って泣いた

あの感情は忘れられない

 

 

私は、無意識で友達の家を訪ねた

小さな子供がいる彼女にオムツを配布している避難所を教えた

彼女の母には新聞を渡した

 

その無意識の行動を

彼女は何年経っても「嬉しかった」と言ってくれる

 

 

携帯電話の電波が復活すると

「ガソリン売ってますよ」

「タバコ売ってますよ」

「〇〇スーパー開きましたよ」

「道路通れます」

 

山奥で情報の少ない私に連絡がきた

 

 

まだ電気が復旧されていない友達もいたので

「ロウソクあるよ」

「充電器あるよ」

 

 

色が消えた町で

温かい気持ちと

温かい言葉があった

 

通りすがりのオジサンやおじいさんの苦しい気持ちを聞いたり

普段の生活ではありえない事がたくさんあった

 

 

まだ復興半ばの町で色とりどりの建物が経ち

海は穏やかで、町は明るい

 

人の気持ちは分からない

まだ苦しんでいる人もいれば

新しい未来に希望をもってる人もいる

 

 

2020年3月11日午後2時46分

今年も静かに黙とうする

たくさんの命を思って