「幸せ恐怖症」という言葉にドキッとした日
Twitterだったか、LINEニュースだったか忘れてしまったけれど
『アダルトチルドレンが語る幸せが怖い話』的なコラム(?)を読んで
胸がキーンとなった。
心の中にかき氷一気に流し込んだ感じ。
賛同、共感の多い記事だったと書いてあった。
アダルトチルドレン、AC
分かるよ。私も過去そうだったから。
友達ができても「どうせ嫌われる」
幸せになると「この幸せはどうせ長く続かない」
彼氏ができても「数か月後には別れるに違いない」
お給料が上がっても「後で間違いだったと返金させられるかも」
これ、自分への呪いだった。
”不幸せが似合う女”を率先してやってたあの頃。
お客さんからは「幸薄顔」と呼ばれ
「不幸感が漂う」とまで言われた。
確かに自分の人生に疲れ切っていた。
まだ小学生の頃、大好きだったおじいちゃんが死んで
私は甘える場所を失った。泣いた私を抱きしめてくれる人がいない。
でも、ペットのオウムがいるから大丈夫!
私の名前を呼んで挨拶してくれるオウム。
そう思っていたのにオウムまで死んでしまった。
仲の良かった友達は転校していった。
私の大切な物は全部なくなってしまう
そう思って布団の中で絶望して泣いた。11才。
私はまだ子供なのに、好きにならない事を選んだ。
「アダルトチルドレン」という言葉を知ったのは20代。
そのカウンセリングを受けた。
【私は幸せになる】とここで声を出して言って。
私は笑顔のまま言おうとしているのに言葉が出ない。
「あれ?声が出せない」そう思いながら躊躇っていると
カウンセラーが微笑みながら見ている。
「私は幸せになる」だよ。
そう言われても、声にならなくて困った。
「わ・・たしは・・・」の出だしで何かがこみ上げてきた。
泣きじゃくりながら「わ、わたしは、しあわせに・・・なる」
「私は幸せになる」と何度も言った。
ティッシュペーパーの箱が空になるんじゃないかと思うほどの
涙と鼻水。そして声を出して号泣。
涙は止まる兆しもなく
わーわー泣いた。
座っている椅子のスペースだけでは足りなくて
テーブルの下に潜り込みそうなほど体を揺らして泣いた。
わたしは、その日【しあわせ】の種を自分に植えた。
大事に育てよう。
そう決めて。